はじめまして「ちいでる」です。こんにちは!
プロフィール欄にもタイトルにも書きましたが、私と家族の合計4人が家族性多発性脳海綿状血管腫を持つ患者です。4人のうちで今でも大きな症状を出していないのは私だけになりました。
このブログには主に、患者の体験から知りえたこと、症状、治療、ネット上で閲覧可能な医学論文や、分かりやすい病院HPのアドレスなど、病気に関することを患者の目線で書いています。
私が本当に多発性脳海綿状血管腫を持っていることの証明として、診断書のコピーと障害者手帳の画像を添付します。病気のブログは、たとえ患者の闘病記であっても、根本的なところで嘘があってはいけないと思うんです。
私の海綿状血管腫は脳だけにとどまらず、脊髄や背骨にもあるため、「脳」という文字が表記されていません。
(2023年2月26日追記:海綿状血管腫が骨盤の骨にも見つかりました。一番大きなものは長さ5cm。切除すると歩けなくなるので、経過観察するしか仕方ないとのことです。念のため、ガンでないことを確認するため、2022年4月にがんセンターに入院して精密検査を受けました)
このページだけは、少し長めの自己紹介をしてみたいと思います。
医療人を育てる仕事を20年間やりました
20年間続けてきた私の仕事は、医療系大学や医療系予備校の講師です。
教室にいる学生は「人を助け、寄り添える仕事がしたい」という素晴らしい志を持っていました。彼らの多くが今も日本の医療を支えているんだろうなと思うと、教えていた私までも嬉しく誇らしく思います。
だから本当は、勤続20年を越えてもう少し仕事を続けていたかったんですが、身体上の理由で引退することにしました。今風の言い方だとFIREですね 。
早く仕事を辞められるのは一般的には喜ばしいことなんですが、私にとっては苦渋の決断でした。
仕事を辞める決断をするまで
私の脳海綿状血管腫は多発性で、脳幹にも複数個、脊髄や背骨にも複数個あります。経過観察をしながら、病気の進行に合わせて生きていくしかない病気です。
病気の状態は年々悪い方に変化していきます。
40代に入ると手足に力が入りにくくなり、杖が必要になってきました。仕事を続けるうえで一番困ったのは、頭が疲れると言葉が出てこなくなったことです。
そこで授業時間に集中力の頂点が来るよう、仕事と家事以外の時間はなるべく寝るようにしました。そのためには仕事を減らして、休日を増やさねばなりません。
落ちてきた身体機能をフォローする方法を色々試し続けたものの、やがて万策尽きました。私は既に障害者手帳を持つ身になっていました。
週に1度教壇に立つだけのために、残りの6日間を犠牲にすることに価値があるのか。私の人生はもう後半戦に入っています。残された時間が何年なのか、病気を持っている私には全く分かりません。他の多くの人より短いことは想像できます。
仕事はここまでだ。そう自然に思えるようになった時、新しい人生を生きる決断をしました。アーリーリタイアとかFIREとか言われる、要は早期退職です。
FIREと言えばカッコいいですが、私の実態は中年無職。病気のせいとはいえ、家事もちゃんとできてないので、専業主婦と名乗るのも違う・・・。アイデンティティの危機ってやつですね。「私ってナニモノなの?」ってことです。
多分、長く仕事を続けてきた人は、大なり小なり同じような気持ちになるんじゃないかと思ってます。結構やっかいな感情でした。
脳海綿状血管腫に関する経験を書き残すことが、これからの私の仕事みたいになりそうです。
どうぞよろしくお願いします
長くなりましたが、このブログを書いている「ちいでる」の自己紹介でした!
ではまた、どこかの記事でお目にかかれますように!