私たちの血管腫 症状と治療

身体症状の変化 * 家族性多発性脳海綿状血管腫を持つ私の50年

 

こんにちは!「ちいでる」です。

 

この記事は、私の身体にどんな症状が出現したかを時系列で記録するために書きました。

10代の終わりまでは全く元気だったんですよ。

 

ちいでるについて

  • 家族性多発性脳海綿状血管腫と共に、半世紀を越えて生きています。
  • 血がつながっている家族は全員、この血管腫を持つ患者。遺伝するタイプの血管腫です。
  • 血管腫は、大脳・小脳だけでなく、脳幹・脊髄・背骨にも存在します。
  • 東京大学の研究者に、遺伝子情報を提供しました。
  • 医療従事者を養成する大学や予備校で、20年間教鞭をとってきた人間でもあります。

 

 みんなが私のようになるわけじゃない

 

大事なことなので強調させてくださいね。

 

私や私の家族は、全員が身体になんらかの症状が出てしまい、身体障害者になりましたが、たまたまMRIで発見された血管腫の多くは無害だ、とのことです。血管腫を持つ人のすべてが、身体の機能がおかしくなったり、手足にマヒが出て障害者になるわけではないということです。

 

もし、あなたの心が今とてもナーバスだったり、気が動転しているのなら、今はこのページは読み飛ばしてくださいね。

 

 

 20歳~30歳までに出現した症状

 

 縦書きの文字がまっすぐ書けない(20歳から)

縦に字を書くと、段々右へ右へと文字の位置がずれるようになりました。

「この行の中心線はここだから、この漢字の一画目はこの辺に書かないとダメだ」という位置感覚がなくなってしまったんです。と同時に、右手指の力が弱くなり、ペンをちゃんと支えていられなくなりました。

 

「大学受験前と比べると字を書く機会がガクッと減ったせいかな?」と軽く考えてたんですが、その後も字が少しずつヘタになり、今では自分が書いた字が判読不能なこともあります。

 

 

 歩くと右足のくるぶしが激しく痛む(30歳ごろから)

右足のくるぶしの下部分が鋭く痛むようになってきました。

「足に合わない靴を履いてるからかな(スニーカーなんだけどな)」「歳をとって筋肉が弱ったのかな(でもなぜ突然右足だけ?)」と思うばかりでした。

今思えば、少しずつ右足の力が衰えはじめていたのかもしれません。その後も足の変化は続き、階段を降りるとき、右側に手すりが欲しいなと思うようになっていきます。

 

 

 健康診断のMRIでは異常なしだったが

 

健康診断のオプションで脳MRIの撮影しました。結果説明時に見せられたのは、今思えばとてもぼんやりした画像MRIの撮影方法は複数ありますから、微小な出血痕が分かりやすいT2*WI(ティーツースター強調画像)のような撮影法ではなかったんでしょう。

「なーんにも悪い所はない!正常~!若いのに心配性だねえキミはw」

と医師はおどけてたんですが、上記2つの症状は、脳海綿状血管腫があると分かった母が、まだ健常者だった頃に言っていた症状と同じ。「検診で見つからないなら病院だ!」と私の心のギアが入れ替わりました。

 

 

「ありますね。複数個。脳海綿状血管腫ですよ」

 

緊急搬送や手術もおこなっている大き目の脳神経外科病院に行きました。家族の病歴を書く欄には、枠が足らなくなるほど詳しく書きました。

 脳動静脈奇形のため28歳で手術 右半身不随 身体障害者手帳2級

 脳出血後に多発性脳海綿状血管腫が発見される 2年間の植物人間状態ののち、言語能力全廃・右半身不随 身体障害者手帳1級

兄弟 多発性脳海綿状血管腫が脳幹部にあることが判明。ガンマナイフ照射済

 

MRI撮影後の診察で指摘されました。

「ここと、ここと、ここ。海綿状血管腫がありますね。大きさは数ミリ程度。経過観察しましょう」

この頃は血管腫の数が少なく、脳幹に出血痕はありませんでした(今は複数個確認できます)。

ヘンな話ですが、血管腫が見つかってどこかホッとしたのを覚えています。原因不明で症状だけが増えていく方が厄介じゃないですか。

 

 

 血管腫発見以降の体調・生活の変化(30代)

 

[wp-svg-icons icon="office" wrap="i"] 仕事はこれまで通り継続

今は引退しましたが、かつての私は大学・予備校の講師でした。血管腫発見後も仕事はこれまで通り。いや、むしろ精力的に働いていた時期です。血管腫が見つかったことで、「好きな仕事ができなくなる時がきても、悔いがないようにしておきたい」という気持ちが強くなったせいかもしれません。

 

 

仕事内容は、月曜から金曜まで、90分授業を週に10講義。立ちっぱなしです。その前後には質問対応。夜の授業後に長い質問が来ると、校舎の場所によっては帰宅が深夜になることも多かったです。

そして次の日は朝の9時から別の校舎や大学で授業。4~5時間睡眠ですね。曜日によって授業時間や場所が違うので、毎日が寝不足というわけじゃなかったので、仕事は苦になりませんでした。

 

 

 大きな変化は突然やってきた

ある年、同僚に頼まれて中高生の家庭教師を数件引き受けることになりました。お受験で有名私立に入学したものの、中学・高校から受験で入ってくる子たちは学力が高いため進級が危ない、助けてくれ、という話でした。

 

生活習慣が乱れ、精神的に非常に不安定。ドタキャンも多く、本業の合間でリスケ。母親の不安やイライラに接し、私の心も濁っていきます。昼食夕食は駅のベンチでおにぎりと野菜ジュース、帰宅は深夜。同僚に頼まれた義理があるので続けてみましたが、とうとう心身ともに限界がやってきます。

お辞儀をすると右斜めに身体が倒れそうになるんです。右足が脱力しているから当然ですね。右手も挙げづらい。しびれている。血の気が引きました。これは脳梗塞か脳出血じゃないのか?と。

 

次の日 朝一番に病院へ飛び込み、MRI撮影と脳波測定と診察を受けたところ

血管腫の出血痕が増えてるねえ。それに、てんかん波がいくつも出てる。デパケンというてんかん薬を処方するので毎日飲んでね」

 

予想外の診断にとまどい、何よりショックだったのは、長期にわたって毎日薬を飲む身体になってしまったことです。両親が若くして亡くなったのは、たくさん飲んでいた薬の副作用だったこともあり、この病気に対して初めて本格的な恐怖感が湧きました。

 

 

 薬の調整のため入院。障害者認定も受ける(40代)

 

デパケンで症状がおさまらず、紆余曲折を経て神経内科に入院することになりました。私に合った薬の種類と分量を丁寧に探していくためです。10日間程度の入院生活。私は40歳を過ぎていました。

 

もうこの頃は、突然意識がもうろうとしたり、寝ているときに硬直発作を起こすようにもなっていました。分かりやすいてんかん症状です。そして、足はまっすぐ歩けなくなっており、右へ右へと円を描くように曲がっていくんです。筋力測定をすると、右足の筋力は左足の半分。右手握力は10キロちょっと。

 

入院中に主治医に相談し、歩行状態や体のバランス機能などを診てもらった結果、てんかん症状で精神障害者手帳が取れるだけでなく、身体障害者手帳も取れてしまう身体だと分かりました。

 

 命の時計が止まるまで、楽しく生きていきたいですね

 

もう健康寿命という言葉を使っていいのか分かりませんが、私は幸い今のところ、日常生活に人の手を借りることはありません。

今がチャンスです。やりたいことの優先順位を間違わず、将来への準備もしっかりと。「悲観的に準備して楽観的に生きるって言葉、私はとても大好きです。

 

最後まで読んでくださった同病者の方へ

このブログでは、私たち家族の脳海綿状血管腫についてだけでなく、脳海綿状血管腫に関する医学論文などもリンクを貼って整理しています。

論文ですから、研究に参加した先生のお名前が書かれています。ひょっとするとご参考になるかもしれません。遅筆ですが、よければこれからも時々のぞきにきてください。

 

適切な治療を受けて、少しでも快適で楽しい人生を送りましょうね!

無症状の人も定期検診だけは忘れずに!

 

 

 

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  • この記事を書いた人

ちいでる

家族性多発性脳海綿状血管腫を持つ、私たち家族4人分の闘病記です●母・兄弟・子も同じ血管腫で闘病。「家族性」つまり「遺伝性」です●私自身は、大脳・小脳・脳幹・脊髄・背骨に多数の脳海綿状血管腫があります●医学の専門的な内容に触れる際は、病院HPや医学論文にリンクを貼っています●医療系大学・予備校の講師として20年間教壇に立ちました。

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